2017/02/02 泡
頭が痛く、熱も上がったり下がったりでほぼ寝ていた1日。母に代わりに長女の病院へ行ってもらったので、14時ごろ次女の幼稚園のバスをお迎え。
バスに並んでいるお母さん方の中でプールが一緒の事情を知っているお母さんがいたので、心配してくれてお迎えの後に少し立って現状を話す。1ヶ月は安静が必要な事、本人のおしゃべりは相変わらずなこと。おしゃべりは相変わらずと聞いて安心したようだ。事情を知って次女を預かってくれたり小学校で私がしないとならない事(朝の通学路に立って児童を誘導する)など代わってくれて本当にありがたいし、今回起こったことが不測の事態だったね、誰のせいでもないよ、と言ってくれることも本当にありがたい。こうやって家族以外で話ができる人がいることでどれだけ助けられるか。
家に帰り、次女に母が買っていたシュークリーム。私はリビングのソファで布団を被って次女がみたい番組などを流す。ファインディングニモ、塔の上のラプンツェル、プリキュア。
16:30頃、付き添いに向かった夫が母と電話で連絡が取れないらしく夫からショートメール。母はスマホをマナーモードにしていて多分気づいてないのだろう。電話をかけ続けるとようやく出た。もう既にバスに乗って帰っているらしい。ため息も出ない。一回夫と会って状況を話してから交代しないんかい。ちゃんと夫とコンセンサスが取れていない。これまで何度もこういうことがあり“ちゃんと電話出ろや”と言う思いがむくむくと湧き上がってくる。いざという時に気づかなかったらどうするんだよ。カバンに入れっぱなしで触りもしない。メッセージもメールも読まない事を指摘すると「そうなんよ」と言って認めるだけで改善しない。帰って来た母に「マナーモードでもバイブで震えるんだからそれが気付けるように近くにポケットに入れておく事とか出来ない訳?何かあった時にさっきみたいに連絡が取れんかったらどうすん?」というと「ほんまそうよね〜全然気づかんで悪かったわ」と言うだけ。多分これ改善しないな。いうだけ無駄と思わせるこの老人の頑なさ。実の親子だからこその積み重ねでイライラがたまって来ている。2日前も泡で出るタイプのハンドソープの詰め替え用を頼んだのだが、泡“じゃない”方の詰め替えを買ってきて詰め替えて出口を詰まらせて「泡タイプのだって言ったでしょうが」となり、次の日頼んだ“泡の詰め替え”と、既に今詰め替えてしまった“泡じゃない”方のソープを入れる為のディスペンサーを100均で買ってくるよう頼んだのに“泡の詰め替え”を買ってきたのは良いが、“泡の”ディスペンサーを100均で買って来て、今詰まってる“泡じゃない”ソープはどうすんだよ!?と頭がおかしくなりそうになる。今どっちのポンプも詰まっている。どっちもどう言う詰め替え方したんだよ!?となってイライラが止まらない。それに去年から気がついていたが右手がかすかにずっと震えていて明らかに脳神経外科にかかった方が良いのにまだ病院に行っていないと言うし。熱が下がったら東京にいる間に連れて行こう。あと、ド近眼が進んで眼鏡も合わなくなっている。紙の文字など眼鏡を外しながら5センチの所から見ている。棟方志功だ。広島の山奥にはロクな眼医者がおらんのよ、と言いながらこれも医者に行かずじまいだったらしい。いくら山奥に住んでいるからとはいえ、週に一回はボランティアとかなんかで広島市の中心部まで出てるんだから広島市民病院なりなんなり行こうと思えばいくらでも行けたはずである。自分の病気には無頓着になるのだろう。色々と抜けている所や佐藤愛子さんの言う所の “いちいちうるせえな” と言うタイプの人間ではあるが、頼りになる事に変わりはないのだ。特殊な状況とはいえ、1週間以上一緒にいる事は上京して以来、21年ぶりくらいじゃないだろうか。確実に老いが来ている事を感じさせる。大事にしようと言う思いとイライラのせめぎ合いだ。これは奇しくも去年の長女に対する思いと似ている。大事に思っているのに細かいところが気になりすぎてイライラしてしまう。これを機に何か良い方向に向かう事が出来るのだろうか?私自身…1月に入ってイライラをすぐにぶつけないように心がけるようにして大分改善してきたと自分でも思って長女の態度も大分変わってきた矢先の事だったのに、その努力がもう随分昔のことのような気がする。そんなことはもう何もかもがすっ飛んでしまった。長女にはただただ生きていてほしいし、代われるもんなら代わってやりたい。でもそんな思いとは関係なく良くなるものは良くなるし、その逆も然りなのだろう。前を向いて本人の力とお医者様に任せる所は任せ、私はやれる事をやるしかない。熱出てるけど。
ちょうどポストに以前から予約していた植本一子さん「家族最後の日」(タイトルだけで胸が痛い)が届いていたので横になりながら読む。そういえば長女の事が起こってから、テレビも映画も娘や母に付き合って流すだけで上の空で、これまでほぼ毎日見ていたFacebookも開けたのは一度きり、先週お義母さんから友達申請が来たのでびっくりし自分のタイムラインにフザケた書き込みがないか見返してたら、娘たちの過去の元気な姿がどんどん出て来て涙が出たりして(申請は承認)、何か他のことに目が向けられる状況ではなかったのだけど、植本一子さんも夫のECDさんも過去の著作が好きで、現在ECDさんが癌で闘病中ということをネットニュースやTwitterで知っていたので読み始める。しょっぱなから彼女とその母とのやりとりが、グサグサと突き刺さる。同じ広島弁と言うこと、娘が二人で歳も近いこと、田舎特有でもあり年齢特有でもあるだろうその母の頑なさ、と言うのも被る所があって余計に刺さってしまう。私も今フリーランスでがっつり仕事をしていたら、もっと若く産んでいたら、全く同じような思いを抱いて家を出ていたかもしれない、と思わせるヒリヒリした文章に引き込まれる。しかしなんせ頭が痛い。少し読んで寝る。
夫からショートメールで “膠原病は関係ない” らしい事、“明日CT(かMRI)を取って大人の方の脳神経外科の先生にも見てもらう予定” である事。膠原病は関係ないんだ…では何なんだろう結局。分からないと言う事もあるのかもしれない。もっと悪い血栓の出来やすい疾患なのかもしれない。それは覚悟しなければならない。お医者さん達もチームで総力で当たってくれている事がよく分かる。
次女のお風呂、母と入るのを私が監視する方式2日目、入るのを嫌がるのは変わりないが入ってからおもちゃで遊んで笑顔が出るようになった。
長女の顔を見て声が聞きたい。しっかり治さないと。