2017/02/18 許可
昨日の暖かさから一転、空気のとても冷たい土曜日。
次女の幼稚園の劇の発表会がある日。母が見られる機会が滅多にないという事で、午前中は長女の病院へは夫が行き、私が次女を自転車に乗せ幼稚園へ連れて行き母も発表を見ることに。発表を待つ列に並ぶのにも時間がかかるので、母は発表の時間に合わせて歩いて来てもらうことに。
今年度、私は幼稚園のクラスでアルバム係、年度末に皆から先生へメッセージのカードを集めてアルバムにして渡すのと、クラス役員にあげるプレゼントの集金もしている。今日それを集める締切日にしていたので回って集める。もう一人のアルバム係のお母さんに、長女が入院して長引きそうなので作業が一緒にできなくなりそうなので、アルバムの周りのカバーなどの装飾を作るのはするので他の作業を頼めるかお願いする。快く引き受けてくれて本当にありがたい。
去年はクラス役員をしていたのだが今年はならなくて良かった。こんな事態が起こるとは思いもよらなかったけれど、諸々の行事に参加できる余裕が全く無くなってしまったので、軽い負担の係で助かった。
発表では次女は「犬」の役だ。普段はそこまで積極的ではないタイプだが、こういう時ばかりは大きな声でセリフを言えるのが次女の良い所。照れがなく可愛い。この幼稚園の劇は大体5つくらいの役を5、6人程度が同時にセリフを言い、それぞれの役のセリフ数も同じ位の内容になっている。主役争いのクレームを避ける為だろう。先生方の苦労が伺える。
劇のナレーションをしていた担任の先生が最後の方で感極まって泣きながらのナレーションになっていた。もうすぐこの学年も終わる。
劇が終わると母には先に帰ってもらい、お帰りの準備をして先生からのお話を皆で聞いてから帰宅。お昼を食べたりしていると夫から長女が親だけでもイレに行ったりシャワーに行けたり、病棟から出て、同じ階でなら車椅子に乗って散歩する許可が出たと連絡。これで病室に入れなかった次女とようやく直接会う事ができる。毎日長女からは妹の様子はどうかと聞かれるし、妹もお姉ちゃんの事を事を気にしていたのだ。
次女と一緒に病院へ。会えて嬉しそうな二人。車椅子の長女に次女が久々にハグ。病室と同じ階にあるテラスへ出て陽を浴びながら一緒に歩く。手を繋いで。外の空気を久々に吸って長女が「は〜!空気が気持ちいい!」と深呼吸。外の空気を気持ちよく吸うこと、それすら普段の私たちは忘れている。
夫が次女を連れて帰った後、私は長女を車椅子で連れて散歩したり、土日はリハビリが無いので病棟内を歩いて3周。同じ病室の女の子がずっと泣いていてうるさくあまり話しもできないしテレビも見られる状態ではないので、ほとんどの時間を車椅子でウロウロしたり、プレイルームで遊んでみたり、窓から外の景色を見たりしていた。
夕方、母と交代。家に戻ると既に次女はソファで寝ている。ご飯を食べなかったのを夫が少し怒ったらしい、そしたら泣いて寝てしまったのだそう。そのままベッドに運ぶ。
夫から週末に話をしようと言われていたので、これまでお互いのどんな面を反省しないといけないかを改めて話す。夫から言われた事は、私が土日にほとんど娘たちと外出したがらなかった事、部屋の使い方(要するに片付け)について。それに対して、私は去年、ぎりぎりの精神状態でイライラしてしまい長女を怒鳴ってしまっていた事、土日くらいしか夫に娘たちを預けて一人でリラックスした時間が取れずにそれでもイライラしていた事。それを反省して今年の初めから改めようと努力してイライラしたらその場を離れるとか、笑顔を心がけるとか、それで少しずつ変化が起こっていた矢先に起きた今回のことだった事。今回のことで天地がひっくり返るような思いをした事。単純な事だけど「家族を大事にしよう」と改めて思った事。なので一緒に外出とかこれからはもちろん行くと言う事。私から夫へは、これまでの日常はほとんど夫は平日は深夜に戻り、ほぼ土日しか家におらず、これまで日常の中で私と娘たちが暮らし良いように部屋を作ってきたのに、なんで急に今になって部屋のことなんかを言い出すのか、そういう風な“後出し”の言い方をするのではなくて、すぐに言って欲しいという事。今は長女の事で自分の器がタプタプになっている所に部屋の片付けとかでこれまでの生活を否定するような事を言われると、溢れてしまう、という事。言いながら泣きそうになる。それに対し夫は、“今のこのタイミング”だからこそ変えないとずっとこのままダラダラと変わらない。人は楽な方へ楽な方へ堕落していく事を知っているから、との事。それに家族の皆がそれぞれスマホかタブレットを見ながら過ごす時間が長すぎだ、と。確かにそうかもしれない。
とりあえずこんな話をした。分かり合えない事はもちろんあるだろう、ただこうやって話をしてお互いの妥協点を探っていく事で、前に進んでいくしかない。それが家族というものなのかもしれない。改めてそう実感させられる夜。